異国での対話

上海から戻って2週間経った。海外に長期滞在する、というのは否が応でも自己との対話が増える。自分を色々な角度から、異国の地での経験に影響されながら、たびたび見つめなおす。そうやって人は海外体験を消化したり、また自分のバランスを取るのだと思う。

で、そういう自己見つめなおし作業が常態化してるから、日本に帰国すると心的感覚と現実がちょっとずれる。慣れ親しんだ日本での生活なのだから、その意味を捉え直したり自分で咀嚼する必要はないのだけれど、心的プロセス的には一段深く捉えようとしてしまう。

大学時代アメリカに一年行った時もそうだった。特に深く影響を受けたと思えた韓国人女性が敬虔なクリスチャンだったので、今より一層内省するのが普通になっていたから、日本の日常に戻るのは結構苦労した。

その頃に比べれば今は仕事もあるし、家族も傍にいる。ということで、少し時間がかかっても仕事が忙しくなってくれば日常が戻ってくるだろうと思う。けれども、上海での自己対話は体の奥の方に澱のように残る。それらは、折りにふれ、もしくは唐突に表面に浮き上がり、その意味を知る時が来るのだろう。