仕事そっちのけで小説に浸る。村上春樹の世界性。
- 作者: 加藤典洋
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- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸
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- 作者: 阿部和重
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私たちが世界のすべての人々と「共有」しているものは、「共有されているもの」ではなく、実は「共に欠いているもの」である。その「逆説」に批評家たちは気づかなかった。
村上春樹は「私が知り、経験できるものなら、他者もまた知り、経験することができる」ことを証明したせいで世界性を獲得したのではない。「私が知らず、経験できないものは、他者もまた知り、経験することができない」ということを、ほとんどそれだけを語ったことによって世界性を獲得したのである。
私たちが「共に欠いているもの」とは何か。
それは「存在しないもの」であるにもかかわらず私たち生者のふるまいや判断のひとつひとつに深く強くかかわってくるもの、端的に言えば「死者たちの切迫」という欠性的なリアリティである。
生者が生者にかかわる仕方は世界中で違う。けれども死者が「存在するとは別の仕方で」生者にかかわる仕方は世界のどこでも同じである。「存在しないもの」は「存在の語法」によって、すなわちそれぞれの「コンテクスト」や「国語」によっては決して冒されることがないからだ。
村上春樹イエローページ② p265-266
内田樹の村上春樹評はいつも愛情に満ちていて、そして深い。ここでも加藤典洋が一冊を使って語ったことから、見事にそのエッセンスを抽出し、また内田自身の言葉で、村上春樹を論じている。村上春樹が「死」について執拗に書いているのは、その作品を読めばすぐわかる。ただ、それがなぜこれ程までに我々のこころを揺さぶるのかについて語るのはとても難しい。その困難さにこの加藤の批評は正面から立ち向かっているし、それをサポートする内田の言葉もまた(上に見たように)素晴らしい。
ポール・オースター「リヴァイアサン」は翻訳本とは思えないほどの恐るべき読みやすさ。いつもながら柴田元幸の翻訳の力量にうならされると同時に、オースター自身の作風も変わってきているのかなと思う。「孤独の発明」、「ムーン・パレス」、「偶然の音楽」ぐらいしか読んでおらず、最近の作品はフォローしてないのでこつこつ読んでいきたい。
ところで、綿矢りさの新作に触れた前エントリーは、アクセスがぐっと増えた。毎日彼女のことについて書いたら人気ブログか(笑)改めて書くけど、今回の彼女の作品は破綻もねじれもなく、淡々と、しかもどちらかというと常套句を多用した形で、一人の芸能人の栄枯盛衰を描いており、「蹴りたい背中」を読んで、いいなと思った僕にとってはやはり困惑を隠せない作品だった。ストーリー展開が面白くなかったわけでなく、一気には読めたし楽しんだのだけれど。。もう一回くらい読んでみようかな。