Perfumeと死への欲動

またPerfumeねた。今更ながらだけど、'Love the world'の'edge'っていう曲がやばい。ダークな音色に「だんだん好きになる 気になる 好きになる」のリフレインが重なる。その繰り返しに引き込まれていると、話題になっていたサビの歌詞が唐突に耳に飛び込んでくる。

誰だっていつかは死んでしまうでしょ
だったらその前にわたしの
一番硬くてとがった部分を
ぶつけてsee new world

「誰だっていつかは死んでしまうでしょ」なんて表現がさらっと唄われ、see new worldの部分は確かに「死ぬわ」に聴こえる。Perfumeは既にアイドルの範疇を超えて前人未到のところを走っていると思うけど、こうした死への言及をさらっと曲中に織り込みながらも、それが違和感なく響くのはちょっと凄い領域に入ってるんじゃなかろうか。今日のMステもそうだったけど、本人達も自分達の立ち位置に十分自覚的で、皆に愛されるPerfume像を維持しつつ、音楽面では中田ヤスタカの実験をうまく咀嚼した上で自信を持って吐き出している感じが伝わってくる。とにかく自信に満ち溢れてるんだよね。8年間の下積みの結果なのか、本人達の資質なのか分からないけれど、とにかくどんどん優れた音楽集団になってきていて、この勢いがどこまで続くのか真に興味深きことでありますです。

ところである種のテクノって何でこう「死」と親和性のある音を響かせるのだろう。僕はそれ程テクノにはまった方ではないけど(電気経由で聞くようになったくらいだし、丘クラバーだったし)、例えば卓球編集の「テクノ専門学校」を高校時代繰り返し聞いていた時、感覚としては極端に言うと生と死を自由自在に行き来できる音楽だなと感じてた。

例えばニルヴァーナの「In Utero」とかは、カートが死にたい死にたいと叫べば叫ぶほど、裏側には生への執着があってその矛盾というか二重性に興奮してたんだと思う。

でも、テクノはもっとクールだった、いや自由だったというべきか。ある音楽は生への執着をあざ笑い死に近接し、また別の音楽では快楽(生の賛歌)が徹底的に追求される。Aphex Twinなんかほんとはあの時既に死んでたんじゃないだろうか。死者が作り出すまだ生き残っているものたちへの贈り物。

テクノはよく都市の民族音楽と言われていた。改めて思うけど、確かに生と死を両義的に表現する音楽であるテクノは宗教的要素が多分に含まれている気がする。じゃないとラブ・パレードみたいな祝祭は行われないよね。ああなんかWireまた行きたくなってきた。来年は久々に行こうかな。

って随分Perfumeから離れちゃいましたが、とにかくJ-POPってやつにさりげなく死にまつわる表現をはさんでくる中田ヤスタカはすごすぎです。