let me in

今日は9時に起きたので色々やれるなと思っていたら、昼ご飯食べて自分の部屋に戻ったら午後まるまる寝てしまった。どうやら疲れていたらしい。

やれなければならない仕事もあるのだけれど、あまりやる気がしないので、Youtubeを探訪する。Dinosaur Jr.の「Get Me」のクリップを観て、改めてこの曲って90年代随一の名曲だなと再認識。ニールヤング直系の今にも泣き出しそうなJマスシスの声と、情感たっぷりなのにアメリカロックの乾きもきちんと表現されているギターソロ。ダイナソーはもっと売れておかしくなかったよな。ルックスがやはり一番問題だったか。

で、Nirvanaの「Rape Me」なんかを続けて観てしまう。今Wikipediaを読んだら、Nevermind発売が91年9月で、In Uteroが93年9月、カートの自殺が94年4月。僕が本格的に彼らの音楽にはまったのは92年だから、カートの死までわずか2年。驚きというほか無い。僕の高校入学は92年だから、思春期の2年間というのがどれだけ濃密なのかという事実に心揺さぶられる。

高校時代、ロッキングオンで連載されていた松村雄策のエッセイが好きだった。特にビートルズがテーマの時は文章が(難しい表現などひとつもないのに)細かいところまで研ぎ澄まされていて、素晴らしかった。ジョン・レノンが撃たれた日のことを書いた文章なんて、もう、なんていうか、すごかった。こんなに純度の高いロック体験をしてみたいと思っていたものだ。

でも、こうしてあの頃のことを思い出すと、あの2年間の濃密度は凄かったのだ。友人と話して、部活して、音楽聴いてただけなのに、そこに付随する感情の振れ幅と多様性といったら。その感情の一つ一つはどこかに霧散してしまったかもしれないけれど、自分が夢中で聴いていた音楽をもう一度耳にすると、その断片が間違いなく自分に残っているのを感じる。そして、その断片を繋ぎ合わせていくと、ぼんやりとだけれど、あの頃感じていた思いの中心にあったものが蘇ってくる。

Nirvanaという陰惨さと美を兼ね備えた稀有なバンドの存在をリアルタイムに追えたことは、本当にかけがえの無いものであったと思う。カートが胃痛や麻薬中毒、ポップスターの苦悩から解き放たれてもし生きていたら、MTV Unpluggedで見せたような、静かな美を備えた音楽をゆっくりとしたペースでやれていただろうに。そう考えると少し悲しい気持ちになったりする。REMがカートの死後彼に捧げた「Let me in」のように、誰かが彼の中に入り込みその苦痛を和らげてやれたよかったのに。それが絶望的な願望だったことは今ならわかるけれど、あんなに純粋な目をした男が自らショットガンで頭を撃ち抜いてしまったのだ。最愛の娘がいたにも関わらず。

Nirvana 「Rape Me」Live

R.E.M. 「let me in」