アメリカにおけるパンク
Sonic Youth - 1991 Year Punk Broke [VHS] [Import]
- 出版社/メーカー: Geffen
- 発売日: 1993/02/04
- メディア: VHS
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そういう意味では、日本の音楽界においては、洋楽雑誌「クロスビート」の果たした意味は大きいと個人的には思う。「Dirty」発売時にSonic Youthを表紙にしたり、新譜レビューでも積極的にアメリカのインディーバンドを取りあげていた。これは、編集長森田敏文のもと、大鷹俊一、佐々木敦、湯浅学といったアメリカ・インディーの本当の凄さを知り、長い間誠実に追いかけていた評論家達に自由に書かせていたり、企画させていたことが大きいと思う。Lo-Fiを正面から取り上げた雑誌なんて「クロスビート」だけだったし。そういう意味では、Rockin' Onはアメリカの音楽にはやや距離を置いていたし、Nirvanaが売れてカートが苦悩を深め典型的なロックストーリーが展開されはじめてから、急に表紙に取り上げたりしていたので、当時の僕はやや鼻白む思いだったのを覚えている。
話を戻して、実際の音楽シーンでこの頃のアメリカ・インディーの勃興を正しく意味づけ出来ていたのは、やはり(アメリカ・インディーの地底を長く徘徊していた)Sonic Youthのサーストンだったと思う。それは、彼らが中心になって行ったライブ・ツアーのビデオタイトルに表れている。「1991 Year Punk Broke」。そう、やはりあのムーブメントはアメリカにおいて始めて広く一般にまで影響を与えた「パンク」の動きだったのだ。NYパンク、ニューウェーブという動きは確かにあった。けれど、それはあくまで限られた層においての話だったし、ややスノッブな部分もあったと思う。
ではなくて、シアトルから出てきたネルシャツを着た、悲惨な幼年期を経てミュージシャンになった、あの寂しげな青い目の男が書いた曲はアメリカ全体を揺るがす大きなうねりとなった。X Generation, グランジ。惜しむらくはNirvanaが切り開いた「パンク」ムーブメントは、結局のところある種のファッションに取り込まれた形でその先鋭性を奪われ、結局あの陰惨なカートの自殺で幕を閉じてしまったことだ。
イギリスのパンクとの対比で言えば、やはりあの頃のアメリカは国全体を若者が揺るがす程一体化されていなかったのだと思う。先進国(勿論日本も含めて)の若者達の多様化、アトム化は、政治運動に限らずポップカルチャーの領域でも進んでいて、全体性を持つことは難しくなっていた。だから、ものすごい衝撃度を持っていたあのアメリカ・インディーのパワーは、数年もするとなんとなく収束していってしまった。
あの90年代前半のアメリカ・インディーに起こったうねりを、もう少し社会情勢や政治、経済などと絡めて語る価値はあると思う。今のところあまりそういう点に着目した文章を読んだことはないし、自分なりにまとめていけたらなと思ったりするのだった。