僕たちはどこにいくのだろう

対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女 (文春文庫)

ここ2ヶ月ひどく忙しくて死にそう。平均3時間睡眠くらいか。徹夜もいっぱいしたし。なんかテンション高くて疲れを感じていないのでやばいかもしれません。ただようやく今週でプロジェクトも一息し、久々にブログを更新してみる。

ということで、この「対岸の彼女」。最近めっきり小説など読まないが、この前本屋に行ったら、この本がこっそりと僕を呼んでいたので購入。角田光代は2年ぶりくらい。

泣けた。疲れてるのもあるけど、久々に本読んで泣いた。「ちりとてちん」見て夫婦で号泣したけど、それとは違う静かな涙。ああ大学時代はよく本読んで泣いてたなあ。

高校生の葵とナナコは、民宿のバイト先からそのまま逃走する。何から、どこへ?ナナコはエキセントリックな女の子で、高校ではいじめを受けていた。家庭も崩壊気味だ。でも、彼女が逃げたのはそんなくそったれな人生に嫌気がさしたからだけではないと思う。勿論そういう悲惨な状況は彼女達の逃走の原因として文中でも示唆される。ただそれだけじゃないのだ。角田光代が優れているのは、(前も書いたけど)僕たちが日常に対して感じる何ともいえない違和感を本当にうまく描けるところにある。岡崎京子が悲劇的に(喜劇的に)、そしてたまらなく美しく、「平坦な」日常を生きる高校生たちを描いた「リバーズ・エッジ」。あの信じ難い傑作と同じ空気がこの葵とナナコの逃走劇には流れている。

逃げることに疲れ始めた二人。その最後のところで、ナナコが葵に向かって呟く。

「ずっと移動してるのに、どこにもいけないような気がするね」

こんな美しくて悲しい言葉ってなかなかない。久々に感傷的な気持ちになれた。ほんとそうだ。僕にだってあった。どこまでも行ける気がして、どんどん精神は高揚していく。でもそういう気持ちの高ぶりを現実がどんどん裏切っていく。思春期なんて毎日がそれの繰り返しだった。

ってどんどん文章がロッキングオン化していくぞ。でも、こういう気持ちを思い起こさせてくれる本っていいな。社会人としてサバイブしていく上ではどちらかというと不要だから普段は封印しているのだけれど、まだ僕にもこういう表現に心動かされる部分が残っていたのだと思うと、少し嬉しくなる。ありがとう角田さん。