物語のできるところ

大塚英志「キャラクター小説の作り方」を再読。やはり、鋭く、うなずける指摘が多い。メモしとこ。

「型どおりの表現」というものが何か悪いことのように言われてしまいがちなのは「パターンの組み合わせ」としてあったこの国の「文芸」の歴史が「写生文」という新しい文章に駆逐されていった背景があるからです。「パターン」とは否定されるべきもの、とついぼくたちは考えてしまうのです。p78

描写する対象をあるがままに文章で「写生」しようとする態度が「写生」文です。「写生」のためには「言文一致」の新しい文章が必要だったのはそれまでの書きことばであった「古文」や「漢文」はこういうことを表現する時はこの言葉を使いなさい、という約束事の上に立つ文章だったからです。p98

このあたりは、柄谷行人の「日本近代文学の起源」でもしつこく触れられていたテーマではあるけれど、大塚英志の論じ方の奮っている点は、その「パターンの組み合わせ」という論点を、うまくスニーカー文庫などのキャラクター小説の解読に結び付けているところかと。