ねじまき鳥が鳴いた夜

忙しくて一気に読めていないが、「ねじまき鳥クロニクル」も第3部まで来た。村上春樹に一貫して描かれる他者との通路、つまりコミュニケーションの困難さは、この大作において暴力とセックスを媒介に徹底的に掘り下げられる。例によって、知的でありながらやや行動力にかける主人公は、徐々に、ゆっくりと思考を進めながら、その暴力性に立ち向かっていく。村上春樹が世界の人々に驚くほど受容されているのは、コミュニケーションの不在、という普遍的なテーマを、マジカルな設定をベース(つまり物語性)に丁寧に描いているからだと思う。

ところで、僕も「ねじまき鳥」の鳴き声を聞いたことがある。大学3年生のある日。友人3人と連れ立ってドライブに向かった帰り道。ドライバーの友人が唐突に海に行こうと言った。海に到着したのは既に深夜近くで、誰も知らないような海辺は、完全な暗闇だった。その時確かに「ねじまき鳥」は鳴いたのだった。ギイイイ、ギイイイ、と。僕は一人呟く。「ねじまき鳥が今鳴いた」、と。周りの3人は村上春樹のこの小説のことを知らなかったから、怪訝そうに僕に聞く。「ねじまき鳥って?」と。僕は明確に答えず、再び呟く。「ねじまき鳥が鳴いたんだ」、と。この頃の僕は確か留学に行く直前だったと思う。前向きになるべきそのタイミングで、僕の日常は殆ど崩壊していた。理由は色々あったのだけれど、とにかく混乱していたのだ。そんな時に、波の音だけが静かに響く完全な暗闇で、ねじまき鳥は僕たちの周りでねじを巻いていた。その音に耳を傾けながら、ねじまき鳥が生み出す時間軸に身を任せ、僕は何だか悲しいような、吹っ切れたような、そんな気持ちを抱いたのを今でもよく覚えている。あれ以来「ねじまき鳥」は僕にその鳴き声を聞かせてくれてはいない。「ねじまき鳥」は今どこで何をしているのだろう。ギイイイ、ギイイイ。