角田光代真昼の花を読み終えた

角田光代初挑戦、「真昼の花」読了。感想を書こうと何度か挑戦したが、うまく出来ず挫折してた。でも、何となく考えもまとまってきたので、書いてみよう。


この本は中篇が2つ収められている。表題作「真昼の花」はとある途上国、「地上八階の海」はよくある日本の平凡な街、を舞台にしていて、どちらもどこか所在無げな主人公の女性の考えや日常が中心に描かれる。舞台設定は随分と違うが、どちらも取り立てて大きな事件は起こらないし、一貫したテーマがあるわけでもない。ドラマ性が排除され、日常の風景や心の微妙な動きが淡々と描かれる点で、最近僕の読んだ現代作家である吉田修一保坂和志の作品と共通性がある。角田光代も、装飾を排した簡潔な文章で、日常の風景を丹念に描いており、途上国での貧乏旅行で感じるどこか不安定な感じや、平凡に思える日常が少し歪んで見えてくる感覚をうまく捉えていると思う。


ただ、こういったタイプの作品にのめりこむかというと、それは無い。乾いた文章、空虚感。嫌いじゃないし、どちらかというと積極的に好きだ。ただ、そうした表現は今や無数にあり、そこに大きな差異は見出しにくい。もちろん、個別の作家をきちんと読み込めば、求めるテーマも、文体も大きく違うのだろうし、色々と新しい発見もあるだろう。けれど、それを積極的に探していこうという気にはなかなかなれないのが正直なところ。


と、どうも否定的な感じだけれど、好きな部分もあった。それは、嫌悪感がうまく描かれているところ。「真昼の花」で、主人公が日本企業の前で物乞いし、声をかけられた男性の家に誘われセックスが始まるその時、いくら男と寝ても、貧乏旅行で金がつきても、どこか自分に同情し言い訳し、その自分とやらの安全性を担保しようとしている自身に急に嫌悪感を抱き、男を蹴りその部屋から飛び出す。「地上八階の海」では、付き合っていた男が、突然オレンジジュースをくれよと言い放ち、主人公の女性は戸惑う。この男は、冷蔵庫には当然オレンジジュースがあるものだと確信している。その女性は、そこで前提とされる強固な家庭像のようなものを見て、戸惑い、嫌悪を覚える。こうした描写には、どこかに安住することを願う精神性を生理的に嫌っている作者の志向が滲み出ていて魅かれるものがある。自己否定にどこか甘美なものを見てしまうへたなロマンチストより、こっちのほうがずっといいよな、と思う。