ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章
実家に帰ってきた。自分の部屋に散乱している本の中から懐かしいものがたくさん出てくる。僕は、警句が好きなのだが、大学時代何度も反芻して読んだ一節がある。
ある人は「これではだめだ!」といって、それに抵抗する。こういう反応から生じるものはといえば、それとおなじくらい耐えがたい状態なのかもしれない。そしてその結果、もっと反抗をつづける力が、使いはたされてしまうのかもしれない。「その男がそんなことをしなければ、こんな悪い目に会わなくてすんだだろうに」とわたしたちはいう。だがいったい、どういう権利があって、わたしたちはそういうのだろう。社会が展開してゆく法則を、だれが知っているというのだろうか。どんなに利口な人にも予測はできないものだ、とわたしは確信している。きみが戦うのなら、きみは戦えばよい。きみが希望をいただくのなら、きみは希望をいだけばよい。
わたしたちは戦うことができる。希望をいだくこともできる。そのうえ信じることすらできるのだ。しかも、学問的・科学的に信じる必要などは、ないのである。
ヴィトゲンシュタイン 「反哲学的断章」 P161−162
いいなあ、やっぱり。生粋の評論家気質で、なかなか実行に移さない僕にとって、改めてしみるお言葉。