中世の再発見 網野善彦+阿部謹也

対談中世の再発見 (平凡社ライブラリー)

対談中世の再発見 (平凡社ライブラリー)

碩学の中世史家二人による対談。飛礫儀礼性、市の祝祭性など中世の諸事象について面白い事例や論点が満載。半分強読み終わったが、売買と贈与について論じているところで一番目に留まった箇所をメモ。

阿部 つまり、贈与慣行は、さまざまなヴァリエーションを持ってはいるが、ある意味で普遍的な人間の関係ではないのか。問題は、贈与慣行が普遍的な人間の関係の一つの原理なんだけれども、日本においては貨幣経済の展開とうまく折り合ってきた、あるいは近代以降は建前上はヨーロッパ流の一応贈与慣行を止揚した世界でつくりあげられてきた政治理論や法律理論、個人主義の原理に基づく制度ができている。にもかかわらず日常的な人間の関係の世界では、政治においてさえ旧来の贈与慣行を少しも変えることなく、そのうえに立つ現実の、本音の世界がくり広げられている。これは日本社会の二重構造の要だと思うのです。つまり、贈与の問題は単に中世史の問題であるだけでなく、近代政治思想の問題でもあるのではないかと思うのです。
 北ヨーロッパにおいては、貨幣経済の展開のほうが優位を占めて、贈与慣行を組み敷いた、押さえたということなんですが、ぼくはこれは非常にはっきりとキリスト教だと思っているんですけどね。 

「中世の再発見」P124

このあと、阿部は贈与慣行を脱し貨幣経済へと移行していったヨーロッパこそ特殊で、その特異性は時間・空間意識の変容と併せ、近代の出発点となったのではと述べる。プロ倫とかと繋がってくる視点で刺激的。