最近ニートがどうこうって話が出てきた。働かないとはけしからん軟弱な、とか、日本の将来を支える労働力が、とか、いや自己実現を目指すピュアさを買え、とか色んな意見がある。個人的には、自分らしさを追及するのも気持ちいいけど、まずはフルタイムで働いたほうがいいよ、って思う。社会人4年目で、大学時代後半それこそニートになりかけたものとして。
確かに、毎日働くのって退屈で嫌になることが多い。そんなに刺激的なことばかり起きないし、ある程度のルーティンワークが中心になってきがち。でも、学生時代何処にも繋がりを感じずうろたえていた身としては、今のほうがよっぽど社会に結びついている安心感があるし、精神的な安定度は高い。

僕の尊敬する山形浩生も、なぜ物書きとサラリーマンの2足わらじを続けているかと聞かれて、何度かそのようなことを言ってる。曰く、いくらくだらなくても、サラリーマンやってることで一般人の持つバランス感覚が保たれて、それは文章が暴走するのを防いでいると。

だから、僕が労働が大事だと思うのは、孤独が生む妄想を中和してくれて、社会との繋がりを確認させてくれるからだ。孤独の生む妄想は、全能感にも無能感にも結びつく。でも、仕事で実際に何かをすれば、そこには何かしらの社会的評価が付きまとう。それに喜ぶにせよ落ち込むにせよ、他人の評価を通じて自分の思いみたいなものは中和される。この作用を、純粋じゃないってうじうじしちゃう人が今は増えちゃってるんだと思う。

たぶんニートしている人も、「自分らしさ」なんてのが追いかけても決して見つからない幻想だってことはうすうす気づいていると思う。「性欲」と一緒で、一瞬満たされたと思った瞬間からまたその欲望は起動し始める。性欲は一生満たすこと出来ない。でも、いくら不毛と知っていても、彼らは決して満たされない思いを巡って延々と悩み続ける。

でも、仕事してみればよくわかる、山形浩生がここで書いているようなことが。

山形浩生の自作自演ウザ過ぎ!!その2 より
「ぼくも含めて援助関係者が、援助でございますと旗をふってあれこれやるより、援助のことなんかまったく考えずに資本主義的に商品開発や販売にあたっている人々、そしてそれを支えた経理や事務の人々のほうが、実は人々の生活水準向上にはずっと貢献しているわけだ。あるいは、マラウイのタバコを買ってるタバコ会社のほうが、かれらの生活の安定にずっと貢献している。」


日常の仕事は、直接的にはどこに結びついているのか見えなくなりがちだ。でも、一歩下がってみれば、自分の活動がどこかで誰かに恩恵を与えている。同時に自分も誰かの仕事の恩恵を受けている。そのネットワークが、確かに人類の生活を良くして来たのだということを思えば、それは凄いことだということが良くわかる。

[追記]
この辺のことは、君たちはどう生きるか (岩波文庫) に書いてあったな。久々に再読したい。


ちなみに、今日は重慶に。タフなミーティングが予想されたがそれ程でもなかった。でも、重慶はアグレッシブな人が多くてかなり疲れる。